吐露のよろこび


 今月もふみの日の前日になってようやく、こんな文章をしたためております。ご機嫌いかがですか。

 今月は「贈り物」というテーマで入り口をひらいております。18日にはささやかながら「贈り物の入り口」をひらくこともできました。その際、若いお客さんたちの口から「文通をしている」という声が聞こえたのは、ハガキストとしては望外の喜びでございました。インターネットからスマホへとデジタル高速通信の進化はどこ吹く風、と、手書きの手紙が今なお、絶滅していないという奇跡。

 さて、前回は「住所を携えておけばよい」ということを申しましたが、もう一つ、余計なお世話のアドバイスをボトルに詰めて海へと投じます。LINE メッセージやメールでなく手書きで手紙を送るならば、あるいはそもそも要らぬ心配のようにも思いますが、「リアクションに期待せず、ただ言葉を送ることに喜びを見出そう」というのを心に留めておいていただければ、より手紙を書くことへのハードルが下がるかもしれません。

 私が「既読スルー」という言葉を知ったのは、いつのことだったか。ほとんどの日本人携帯電話所持者が「スマホ」を選ぶようになってからもしばらく、わたくしは「ガラケー」を使っておりました。そのため、LINE というサービスを利用することもなかったので、言葉では知っていても「既読スルー」のストレスがいかほどのものか、というのは実感としては分かっておりませんでした。今なお、本当に既読スルーが嫌で嫌で仕方がない中高生と比べれば、その痛みについては露ほども理解しているとは言えないのかもしれませんが、それはそれで幸運なことだと思います。わたくしのような弱虫が神経質に相手のリアクションを注視するようになっては、生活に支障をきたすことになるでしょう。

 ハガキのいいところのひとつに、相手が読んだか読んでいないか、分からないということがあります。ですので、とにかくその方に話しかけたい、その思いをハガキに載せてポストに投函してしまったらあとは「きっとあの人は喜んでくれるだろう」という予感だけを抱いていればそれを確かめる必要はありません。その予感の温もりをしばらく味わうだけでも幸せです。「あの言葉がいけなかったのではないかしら」と送信した文面を見直して後悔することもできません。なんだったら、そのうちハガキを出したことすら忘れてしまうかもしれません。

 さて、今月も23日、ふみの日がやってきます。手紙を出したい相手の住所を携えて、ほんの入り口へお越しください。家にしまい込んであるポストカードの山から1枚、2枚、ご持参いただくのもいいでしょう。お気に入りのペンを持ってくるのもワクワクが倍増しになるでしょう。そうして、奥の部屋の静かな空間でひととき、あの人に手紙を書いてはいかがでしょうか。近くの奈良船橋郵便局からその人へ、近いうちにあなたの贈り物が届けられることでしょう。その贈り物が相手の心を温めてくれることは、疑いようがありません。


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